マックス・ニューマン
詳細情報
- 生誕
- 没
- 代表的業績
- ニューマンリー、コロッサス、マンチェスターのコンピュータ群
- 国籍
- イギリス
講義でチューリングに着想を与え、のちにコロッサスとマンチェスター・ベビーの両方を実現させた位相幾何学者。
ニューマンはケンブリッジの位相幾何学者で、1935年春にヒルベルトの決定問題について講義した。その中で、証明を「純粋に機械的な過程」と表現した。アラン・チューリングはこの言葉を文字どおりに受け取り、1年後に計算可能数の論文と、彼の名を冠する機械が生まれた。論文が確実に発表されるよう動いたのもニューマンである。
1942年からはブレッチリー・パークにおり、同年12月からは「ニューマンリー」と呼ばれる部門を率いた。仕事は、ビル・タットによるローレンツ暗号への統計的攻撃を機械化することだった。最初に発注したヒース・ロビンソンは原理上は動いたが実用にならず、次にトミー・フラワーズの「すべて電子式にやり直す」提案を支持した。当時ブレッチリーの他の部署は、真空管は壊れやすすぎると考えていた。終戦までにコロッサス10台が稼働した。
1945年にマンチェスター大学のフィールデン数学教授職に就き、計算機のための王立協会の助成金を確保し、レーダー研究からフレディ・ウィリアムズとトム・キルバーンを呼び寄せ、1948年にはチューリングを北へ招いた。ベビーはその年の6月に動いた。ニューマン自身がそれで試したかったのはメルセンヌ素数の探索で、数学者が世界初のプログラム内蔵式コンピュータで何をするかをよく物語っている。