ジョン・アタナソフ
詳細情報
- 生誕
- 没
- 代表的業績
- アタナソフ・ベリー・コンピュータ、二進電子演算
- 国籍
- アメリカ
電子計算機がどんな姿であるべきかを考え抜いて作り上げ、関心を失い、30年後に裁判官によって名誉を回復した物理学者。
ブルガリア移民の息子で、1930年にウィスコンシン大学で物理学の博士号を取り、アイオワ州立大学で教職に就いた。彼を突き動かした問題は、言うのは簡単でやるのは苦痛なものだった。未知数20個ほどの連立一次方程式で、大学院生が何週間も手で解いていたのである。本人の語るところでは、1937年の冬に苛立ちが収まるまで車で東へ走り続け、4つの決断にたどり着いた。歯車ではなく電子式、十進ではなく二進、リフレッシュ付きのコンデンサをメモリに使う、計数機構ではなく論理による直接加算、である。
機械は1939〜1942年に、学生のクリフォード・ベリーとともに作られた。プログラム可能ではなく、中間結果はスパークで穴を焼き込んでカードに書き出していたが、この工程は最後まで信頼できるものにならなかった。1941年6月にジョン・モークリーが訪れ、全体を見せている。アタナソフは1942年に海軍兵器研究所へ移り、二度と計算機の世界には戻らなかった。1973年、アール・ラーソン判事は、発明はアタナソフに由来するとしてENIAC特許を無効にした。承認を与えたのは、業界ではなく裁判所だった。