ジョン・モークリー
詳細情報
- 生誕
- 1907年8月30日
- 没
- 1980年1月8日
- 代表的業績
- ENIAC、UNIVAC I、Short Code
- 国籍
- アメリカ
真空管式計算機についての覚書がENIACになった物理学者。1941年にアイオワで過ごした5日間が、のちに特許を奪うことになった。
モークリーはアーサイナス大学で物理学を教え、気象データを処理するための簡単な計数回路を自作していた。動機は気象学で、数十年分の観測記録から周期を探しており、計算の量が限界を決めていたのである。1941年6月、彼はエイムズでジョン・アタナソフのもとに5日間滞在し、アタナソフ・ベリー・コンピュータを間近に見た。何を持ち帰ったのかは、32年後にミネアポリスの裁判所が判断を下した。
1942年8月、彼はムーア校で覚書『The Use of High Speed Vacuum Tube Devices for Calculating』を書いた。覚書は、アバディーンの弾道表が手計算では間に合わないと陸軍が悟るまで放置され、1943年にエッカートとともにENIACの契約を得た。役割分担は明快で、機械を欲しがったのがモークリー、作り方を知っていたのがエッカートである。
戦後はEDVAC、自分たちの会社、BINAC、UNIVACと続いた。1949年にはShort Codeも書いた。数式に近い形で式を書けるようにした、インタプリタ方式の記法である。遅かったが、向かう方向は正しかった。