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プレスパー・エッカート

ハードウェア Svenska → 更新: 2026-10-23
詳細情報
生誕
1919年4月9日
没
1995年6月3日
代表的業績
ENIAC、EDVAC、UNIVAC I
国籍
アメリカ

24歳でENIACの電子回路の責任者となり、30年後にそのアイデア全体の特許を法廷で失った技術者。

エッカートはペンシルベニア大学ムーア校で学び、1943年にENIACの主任技師となった。彼の貢献は論理設計よりも、17,468本の真空管をとにかく同時に動かしたことにある。管を定格よりはるかに低い電圧で使い、機械を昼夜を問わず通電しておいた。壊れる原因は電源の入り切りだったからである。また、戦時中のレーダー研究から持ち込んだ水銀遅延線をメモリに使うことも推した。

1946年、特許の帰属をめぐる争いのすえにモークリーとともに大学を去り、電子制御会社を設立した。まもなくエッカート・モークリー・コンピュータ社と改称し、BINACとUNIVAC Iを作ったが、ほとんどの期間は倒産寸前だった。1950年にレミントン・ランドが買収し、エッカートは同社がスペリー、さらにユニシスへと姿を変えるなかで、退職まで在籍した。

ENIACの特許が認められたのは1964年で、1973年のハネウェル対スペリー・ランド訴訟で無効とされた。判決は、出願より1年以上前にFirst Draft報告書が出回っていたことと、ジョン・アタナソフの先行機を理由に挙げた。19年待って得た特許は、9年しか持たなかった。

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