ハワード・エイケン
詳細情報
- 生誕
- 1900年3月8日
- 没
- 1973年3月14日
- 代表的業績
- ハーバード Mark I、ハーバード・アーキテクチャ
- 国籍
- アメリカ
IBMに自分の計算機を作らせておきながら、お披露目の場でIBMに触れ忘れた物理学者。
エイケンはハーバードで物理学の博士号を取り、微分方程式を手で解くことにうんざりしていた。1937年、チャールズ・バベッジの解析機関を手本に挙げた自動計算機の提案書を書いた。バベッジの機構の一部が、ちょうどハーバード自身の収蔵品にあった。IBMがこれを引き受け、エンディコットでクレア・レイク、フランク・ハミルトン、ベンジャミン・ダーフィーの下で製作し、1944年にハーバードへ引き渡した。
除幕式でエイケンは、この機械をほぼ自分のものとして説明した。費用を出したトーマス・ワトソンは激怒し、IBMはその後の機械を大学と組まずに作った。1948年のSSECが同社の回答である。エイケンは名声を、ハーバードは機械を得て、IBMはコンピュータ産業を手に入れた。
彼の設計は、命令を紙テープに、データをカウンタに、厳密に分けて持たせた。これがのちにハーバード・アーキテクチャと呼ばれる構成である。1944年にはグレース・ホッパーをMark Iのプログラミング班に迎え、その後Mark II、III、IVを作った。米国に必要なコンピュータは6台程度だけという発言はよく彼のものとされるが、その形での出典は確認できない。